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クリウン韓ドラ!

. 興奮冷めやらぬ!動画アップです!追記:先日ご紹介した写真展レポ!追記②TEA'USファンサイン会おしらせ♪追記③韓国女性雑誌BAZAAR6月号!

追記③韓国女性雑誌
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日本でも「韓流旋風」とか「イッ’ツ コリアル」とかに掲載されてましたね!
・・・・立ち読みでしたが

韓国女性雑誌 BAZAAR(バザー)6月号(クォン・サンウ、ビッグバンT.O.Pの記事)

特価:1,575円(税込)
商品説明

韓国女性雑誌BAZAAR(バザー)6月号(クォン・サンウ、ビッグバンT.O.Pの記事)

INTERVIEW 戦争という巨大な悲劇を全身で貫いたこの君の男たちが笑っている。兄さんキム・スンウ、 滑降するエネルギーがむかしのままなチャ・スンウォン、
ローラーコースターに乗って下って初審に帰ったクォン・サンウ、 そして十六少年になって帰って来た T.O.P.(チェ・スンヒョン)を四人のエディタがあってみた。
 


ローラーコースターに乗って????とは・・・・・・・




追記:②TEA'USにサイン会のお知らせです!

ファンサイン会日程をお知らせいたします....

下記のようにファンサイン会が予定されています。

多くのファンと顧客たちが参加してください。

おってもっと詳しい内容を公知します。

ありがとうございます。

6月 19日 :tears 化粧品明洞支店

7月 3日 :tea-us コーヒーショップ 1号店


映画公開して3日目!舞台挨拶の合間に?でしょうかね
ううぅこの時期渡韓される方が
居たようななにはともあれ~~
遭遇できる事を祈っていま~~すいいなぁぁあ~私もいきたあああい




追記:写真展レポート

先日横浜での写真展があることをご紹介しました。
写真展へ行った方の感想&レポートが書かれていました
「砲火の中へ」と重なる部分がたくさんあります。
読んでいて心が苦しく、痛くなりました。
休戦状態?????本当に胸が痛いです!

↓字を大きくすると読みにくい?から
そのままの大きさで載せます。
アメリカ紙「ニューヨーク・デイリーニューズ」から共同通信社が入手した満洲事変(1931)~朝鮮戦争(1950~53)の戦争報道写真約2万9千点を寄託され、そのうち朝鮮戦争関係が約3600点。その中から202点を厳選して展示しているものです。

 1950年6月25日の北朝鮮軍の総進攻から53年7月27日の休戦協定締結まで、時系列にしたがって展示されています。
 それぞれの写真説明は詳しいものではありませんが、何よりも写真自体が多くのことを物語っていて、メモを取りつつ見ていったら、結局2時間近くかかってしまいました。

 以下、とくに気づいた点を列挙します。

①戦争中の実にさまざまな場面・風景を写している。米軍兵士だけでなく、韓国兵やトルコ兵、北朝鮮や中国の兵士(捕虜)、韓国の人々等々の人間、戦地の風景、飛行機から撮った、空襲で破壊された都市や工場や鉄道等々。
 太平洋戦争当時の写真も同様ですが、従軍カメラマンの活躍と、彼らの役割をアメリカ政府や軍当局が重視していたかがうかがわれます。

②開戦を伝える新聞も展示されています。
6月25日「毎日新聞」は号外で「戰爭狀態を布告」「北鮮共和国、韓国へ」と報じています。(「2時20分」とのメモあり。) 翌26日の「讀賣新聞」は「北鮮軍の主力南下」という見出しで1面のトップ記事にしています。
※当時の新聞は<北朝鮮>でなく<北鮮>だったのですね。しかし、1行15字詰の小さい字を昔の日本人は読んでたんですねー。

③戦火を逃れて南への道をたどる住民。はだしの人もけっこういます。荷車に家財道具を乗せて牛の引かせている人、牛の背にたくさんの荷物を乗せ、自分も乗っている人もいます。
女性は皆チマ・チョゴリで、頭に荷物を載せた人が目につきます。洗面器を手で支えないで載せている女性も写っています。
 いつ頃までなんだろう? 昨年12月にソウルに行った時、めずらしく頭に物を載っけたおばさん(おばあさんではない)を見かけましたが、カメラを取り出してる間に見失ってしまいました。

④大田駅前でアメリカの歩兵部隊を迎える多くの市民の写真。背景の商店の看板は「平和館」「共成堂製菓所」のように左→右書きもあれば「里千三」のように右→左書きもあります。漢字使用が普通だったようで、つけたし的に「담배」(タバコ)とか「공급과자」(高級菓子)のようなハングルが書かれています。

⑤1950年9月、仁川上陸作戦で捕虜となった北朝鮮軍の捕虜は丸裸にされたんですね。武器隠匿を警戒してとのことです。また同月、ソウル郊外で女性捕虜1号となった19歳と16歳の従軍看護婦の写真もありました。存命であれば今70代後半ですか・・・。

⑥1950年12月、北朝鮮の興南の国連軍墓地で葬送ラッパを吹く海兵隊兵士。数十(?)の十字架が並んでいますが、今どうなってるんでしょうね?

⑦北朝鮮深く進攻した米軍が、中国人民義勇軍の参戦により後退する際、大同江の橋を破壊しましたが、その橋の骨組みにしがみついて、まさにアリの群れのように逃れようとする平壌市民。その写真は1951年のピュリツァー賞を受賞したそうです。
 戦線が南に北に移動する度に、多くの住民も各地を移動し、やはり米軍の爆撃で橋が破壊されたソウルの漢江のような川を越えるのは大変だったようです。漢江で、幅の狭い歩道橋を多くの人が渡っている写真もあります。(歩道橋といっても道路をまたぐ歩道橋じゃなくて・・・)

⑧1950年11月、「敵と内通した韓国人」ということで609人が死刑に。その10冊の場面の写真もあります。

⑨済州島に小舟で渡った避難民も7万人に上ったそうです。孤児1000人も・・・。
 全体的に、子どもの写真が目につきます。

⑩1951年3月、旧朝鮮総督府が、焼けて骨組みがあらわになってしまっている写真があります。

⑪1952年9月、説明文によると「在韓国連軍後方には4万人のゲリラが活動」とあり、さらに「韓国警察は13ヵ月間に1万3千人射殺」とあります。同じ民族同士。戦争がなければ殺し殺されずにすんだのに・・・。

⑫「遺棄死体数百といひ数千といふ いのちをふたつもちしものなし 土岐善麿(1940)」
 多くの死体が並んだ写真を見ると、この短歌が思い出されます。
 咸興の洞穴から発見されたという数十(?)の虐殺死体の写真。20日の記事で紹介した<老斤里事件>の他にも、無辜の住民が殺された事例はいろいろありそうです。

⑬厳しい状況の中でも韓国女性のたくましさを感じさせるのが、戦時のソウルの路上でお好み焼きを売る女性や、米兵向けに立ち木や井戸を利用して洗濯屋を開いている女性。たいしたものです。

⑭巨済島の捕虜収容所。捕虜たちは命令を無視して毛沢東・スターリン・金日成の肖像画を掲げたりしています。
 かつて虐げられた人々の希望の星だった3巨人。今明らかになっていることを思うと、私、暗澹たる思いにとらわれてしまいます。(とくに金日成の野望と決断のためにどれだけの人々が命を失い、不幸な目にあったことか・・・。)

⑮1954年1月20日、板門店で、中華民国の青天白日旗と蒋介石・孫文の肖像画を掲げ、中華人民共和国への送還を拒否する中国軍捕虜たち・・・。一方で北朝鮮に囚われた米軍捕虜21人は報道陣に対して「送還拒否」の意向表明。「THEY CHOSE THE COMUNIST SIDE(彼らは共産主義者の側を選んだ)」。

[付記]
 この企画展の感想ノートが置いてあって、チラと見てみると次のような記述が・・・。

 「今なぜこの写真展か。」
 「同感。朝鮮戦争がはじまったのを日本のせいにしたいようである。」
 「国連軍が<介入> 中国人民義勇軍が<参戦> この違いは何か?」

 朝鮮の南北分断についての日本の責任論にも首をかしげてしまいますが、朝鮮戦争についての責任はそれよりさらにありえないでしょう。「同感」と書いた方は思い込みが過ぎるのでは?
 最後の指摘はごもっとも、かも・・・。
 上記<北朝鮮軍の総進攻>の用字は展示の文言そのままですが、<侵攻>の方が妥当ですかね。』


「戦争」という二文字の恐怖から、一日も早く解放されることを
願わずには居られません









おはようございます今日関東地方だけお天気ぐずついて
気温も4月に逆戻りです。

昨日の美国でのサンウさんの記事の多さ
ショーケースでもそうでしたが、こちらは自国ですから~ねぇ
当たり前ちゃ当たり前で。
美国で韓国人俳優のサンウさんがこんなにも
受け入れられ、絶賛され夢のようでした。

夢ではないですね、サンウさんにはその夢を
叶えるだけの素質はあったわけです。
アップしながら興奮しました

6·25戦争の惨状ありありと描いて 韓-美に忘れた戦争換気させること
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2010-05-29 06:50

アメリカで試写会-シンポジウム

“学徒兵たちはまともにできた支援ももらうことができなかったままただ両手だけで争いました. 彼らが見せてくれた英雄的な行動と犠牲精神に尊敬を示します.”

アメリカのゾーンスチーブンス中佐(89)は 1950年 8月釜山に到着した. 彼は ‘釜山ヘドボ(Pusan Perimeter)’と呼ばれた ‘洛東江防御線’を守った何番(回)の戦闘に参戦した. 9月には仁川上陸作戦に参加したし 11月には死亡 1029人, 負傷 4582人を記録して米海兵隊歴史上一番熾烈だった戦闘の中で一つに記録された ‘じゃン・ジン号戦闘’でも争った. “朝鮮戦争は私の人生で最大の事件だったし共産軍は残忍でした. やや小い慈悲も施さなかったんです.”

27日午後 6時(現地時間) アメリカカリフォルニア州スタンフォード大カバー里オーディトリアムで映画 ‘飽和中に’の試写会とシンポジウムが開かれた. 試写会直後続けたシンポジウムには異才した監督, 主演を引き受けた俳優グァン・サンウさん, アメリカ評論家スコットホンダスさん, スチーブンス中佐などが討論者で参加した. スタンフォード大在校生と教授, 在米韓国人, 参戦勇士など 400余明度席を一緒にした. この映画は 1950年 8月 10日夜明け, 慶北浦項で数百人の北朝鮮精鋭軍と 71人の少年学徒兵の間で開かれた 12時間の間の熾烈だった戦闘を扱ったシルファグックだ.

1952年 3月 6·25戦争に参戦して 13ヶ月の間原産, 板門店等地で服務した参戦勇士レイサラザールさん(82)は “映画が非常にリアルだ. 韓国人だけではなく戦争に参加したすべての人が経験した苦痛をもう一度振り返るきっかけがなった”と言った. 彼は寒い日氷を覚めてざんごうをほったことが思い出すと “機会になったら来年にもう一度韓国を訪問したい”と付け加えた.

この監督は “多くの韓国学生が 60年前に韓国で何の事があったのか関心もない. この映画を通じて朝鮮戦争を知らせたかった”と言った. 圏さんは “映画を撮影しながら私たちがいつでも危ない状況に処することができるということを今更感じた”と言った.
今度試写会はスタンフォード大アジア太平洋研究所の招請で開かれた. シンギウックスタンフォード大アジア太平洋研究所所長は “最近 (天安する爆沈社でも) 情勢で見るように朝鮮戦争は終わらない戦争”と言いながら “朝鮮戦争の意味を振り返って現在進行中の事案に対する注意を促すために試写会を開催した”と明らかにした.






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スコット・ホンダス氏の評価に真剣に耳を傾ける
サンウさん


サンウさ~~んお疲れ様でした、
サンウさんの真剣な眼差しや、笑顔が見れて幸せでした

皆様も楽しい休日をお過ごし下さい~~ね
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